総合的な歴史は下記のサイトもしくは書籍をご参照ください。
インドでは「カレー」という名の料理はなく、必要なスパイスを組み合わせて作ります。インド料理の本では、『インド料理の中の“スパイシーでとろりとした煮汁のある料理”を西洋料理でカレーと呼ぶ』と定義づけているようです。
「カレー」という言葉の由来は、タミール語説、ヒンズー語説、など諸説があります。
タミール語で「ご飯にかけるタレ状のもの」を「カリ」とする説。 | |
インド人やスリランカ人の人々が常食にする「スパイシーなかけご飯」の総称を「カリ」とする説。 | |
ヒンズー語の神に供える「野菜ご飯」=「カリ・アムドゥー」という言葉の「ご飯にのせる具」を意味するという説。 | |
ヒンズー語で「香りの良いもの」、「おいしいもの」を意味する「ターカリー」に由来するという説。 | |
インド北都の古い料理名「カディ」に由来するという説。 |
カレーの日本への伝来に関しては、詳細の資料がなく伝来の地については北海道説や横須賀説などの諸説がありますが、弊社としては最有力の「横浜説」をご紹介いたします。
1858年(安政5年)日米修好通商条約が締結され、長崎・神奈川(現在の横浜)・函館が開港されました。寂しい漁村であった横浜は、開港以来、日本の窓口として発展し、牛乳、パン、アイスクリームなどの洋食文化と共にカレーも横浜に伝来しました。
横浜では貿易が盛んになり、港には様々な国の船が訪れるようになり、スパイスやカレー粉なども海を越えて横浜に上陸しました。領事館や外国人居留地がつくられ、多くの欧米人がやってきました。牧場や農園が作られ、ベーカリーやアイスクリームサロンなどと共に、さまざまな西洋料理店が開店し多くの西洋料理が紹介されました。その中に、この横浜での西洋料理を書き記したと言われる「西洋料理指南」や「西洋料理通」などにカレーがありました。開港時代の当時の洗練された文化人に愛され、そして全国に伝わっていきました。
(※旧「カレーミュージアム」サイトを基に作成)
カレーメーカーは一般に次のように大別されます。
1.カレー5大メーカー・・・カレー業界において5大メーカーと言われる企業があります。
・ハウス食品 ・エスビー食品 ・江崎グリコ ・明治製菓 ・大塚食品
2.その他の有力カレーメーカー
・中村屋 ・MCC食品 ・エバラ ・コスモ食品 ・井上スパイス工業・・・など
カレーは大きく分けて次の3つに分類できます。
※共通点として、サラダやピクルスなど副菜と一緒にワンプレートで提供すること、2種以上のカレーを合い盛りにすること、キーマカレーが多いこと、などがある。
インドやスリランカなどのように、スタータースパイスにホールスパイスを使わず、パウダーを使うなど、日本人に合うスパイス使いをしているため、初心者でも食べやすい。さらにお茶や山椒、わさびなど和の要素を出汁に用いることが多いため、一層日本人の口に馴染む。
複数のカレールゥや副菜をワンプレートに盛ることで、フレンチにも引けを取らないほど華やかな見た目になる。インスタグラムを愛好する女性にも人気で、インターネット上にアップされることで伝播も早い。
日本のカレーにも野菜は多く入っているが、煮込んで溶けてしまうため、健康的な料理というイメージは弱かった。スパイスカレーはサラダや、副菜が多いため、栄養バランスが良く、カレーを敬遠しがちな若い女性にも支持されている。
本格的なご当地カレーがある都市は次の通りです。
「ご当地カレーランキング」は、神奈川県横須賀市が圧倒的知名度で1位であった。横須賀市の海軍カレーは、カレーまちおこしの先駆者で10年以上の長い歴史による浸透度が高さが要因と思われる。
札幌市のスープカレーは「ご当地カレーランキング」2位で神奈川県横須賀市に次ぐに知名度である。札幌スープカレーは飲食店が全国に進出し店舗網も広がっているため、飲食店を通して知名度が高いことが要因と推測される。
結果、横須賀市・札幌市以外は認知度が低く、全国区な知名度があると言える都市は少ないことが明らかになりました。
カレー知識全般を習得したカレー大學卒業生が集まり首都圏のカレー店を4カ月にわたり徹底調査。
厳選したカレー店を番付形式で発表。※調査期間 2014年9月〜12月
カレー大學卒業生カレー伝導師による「カレー番付策定部」作成/ 2015年1月22日発表
※個店ベースのカレー専門店を対象とし、メーカー機能を有する総合的カレー産業の店舗(「中村屋」など)及び全国に展開するカレーチェーン店(「COCO壱番屋」など)は「専門店」の定義を超える別格の存在であるため対象外になっております。
日本のレトルト食品文化は世界にも例を見ないほどの隆盛を誇っています。技術的に高水準にあるだけでなく、あらゆるジャンルを網羅する商品が揃っていて、日々進化し続けています。
そんなレトルト業界の中でも特に代表的存在なのがレトルトカレー。現在販売されているレトルトカレーはそのタイプがいくつかに大別されます。
1.大手食品メーカー系
ハウス食品やS&B食品に代表される大手企業を筆頭に中堅企業も積極的にレトルトカレーの商品開発に取り組んでいます。商品ラインナップも多いところでは常時20品目ほどを取り揃え、シーズンごとにマイナーチェンジや新商品の開発販売を繰り返しています。また近年はイオンやイトーヨーカ堂などの流通企業が自らのプライベートブランド(PB)でレトルトカレーを数多く展開しています。各社しのぎを削る争いは今後もとどまることなく続くことが考えられます。
2.ご当地系
バリエーション豊かな味を表現できるカレーの特性をいかして、全国各地で名産品を具に取り入れたオリジナル商品の開発が行われており、そのパッケージには、地域の特性をいかした様々な顔が見られて楽しめます。地域限定で販売される希少性が特徴のひとつです。
3.専門店・シェフ系
カレー専門店の人気メニューや有名シェフのオリジナルカレーをレトルト商品にして販売するものです。この他にホテルのカレーや料理研究家のカレーなどがあります。2001〜2003年ぐらにブームになりました。これらの商品の多くは世の中の流行に対応する形で登場してきます。
4.企画系
カレーの国民的人気にあやかって、キャラクターやサービスなどのプロモーション的役割でレトルトカレーが作られることもしばしば。この場合、味に拘るというようりもいかにそのパッケージデザインにPR効果を持たせるかに焦点がおかれるため、ユニークな商品が多いのが特徴です。
5.その他
インドカレーやタイカレーなどを中心とした海外からの輸入ものや、幼児用、保存食用などの実用的な商品、宇宙食、自然食など個性のある商品開発などによって、様々なレトルトカレーが販売されています。
日本全国をくまなく探せば、少なくとも最低1000種以上のレトルトカレーが商品として存在すると思われます。出ては消えと息が短く打ち上げ花火的な性格も否めない市場ですが、全体としての規模は拡大しています。なにより消費者を飽きさせないバラエティの豊かさが最大の魅力です。日本のレトルトカレーの動向を追い続けることは、日本のカレー文化の奥深さやポテンシャルを確認できるでしょう。レトルトカレーは今や日本が世界に誇れる食文化になったと言えます。
(※旧「カレーミュージアム」サイトを基に作成)
カレーライスが日本の文学に登場するのは、厳密に数え上げれば相当数にのぼると思われますが、ここではカレー談義に登場してくる限りで関連文献に載せられているものを拾ってみると、次のような事例があります。
まず古いところで、明治34(1901)年に書かれた正岡子規の『仰臥漫録』にカレーが登場します。 正岡子規はいち早く野球に目を付け、自分でもやってみて、「野球」と名付けたほどの新しもの好きの人で、彼は若くして脊椎カリエスにかかり寝たきりの生活を送ることになりますが、その病床日記の中でカレーライスを食べたことを記しています。
明治34(1901)年のころであり、家庭でカレーライスを食べるのは相当新しがりといえます。
次に明治36(1903)年報知新聞に連載され、37年に単行本となった村井弦斎の『食道楽』という小説、ベストセラーとなる人気を博しましたが、その中で、牛肉カレー、鶏肉カレー、魚カレー、アサリカレー、玉子カレーなど様々なカレーの食べ方とレシピを紹介しています。明治時代の文学で忘れてはならないのは、夏目漱石の名作『三四郎』で、大学の講義を聴いている最中に、ポンチに先生の似顔絵を描く男がいて、その男に三四郎は連れられて本郷通りの「淀見軒」という食堂でライスカレーを食べています。
時代が変わって昭和15(1940)年に書かれた織田作之助の『夫婦善哉』があります。これは戦後、都蝶々と南部雄二の漫才コンビで演劇になり、森繁と湯島によって映画化され話題になったが、そこでは自由軒というレストランの生卵をかけたカレーが出てきて有名になりました。
戦後昭和37年に井上靖が、少年期を扱った本格小説を発表するが、その『しろばんば』の中で、主人公の少年が通知簿をもらう日は、いつもおぬい婆さんは、彼女の最も自慢の料理であるカレーを作りました。少年はカレーが独自の味がして、それこそが本物のカレーだと信じていた、というくだりがあります。
また昭和43(1968)年には、獅子文六が『食味歳時記』の中で若い頃はライスカレーは大変なご馳走だった、国産のカレー粉がなくて舶来品を母親が大事そうに使っていたことを語っています。
昭和46(1971)年に発刊された『ある明治人の記録』石光真人編著では、主人公が陸軍幼年学校でライスカレーに出会う話を書いています。
また『鬼平犯科帖』などでベストセラー作家となった池波正太郎は、エッセイ『食卓の情景』(昭和48年/1973)の中で、母親がいったセリフ「今夜はカレーライスよ」というのを忘れられない記憶として語っています。
テレビドラマの売れっ子作家になった向田邦子も、『父の詫び状』(昭和51年)の中で「昔のカレー」という章を設け、「カレーライスが大好き」と書いています。
平成に入ってからは、丹野冨雄の『南の島のカレーライス』(平成7年)が出版されており、その後、本格的カレーライス小説が、竹内真により『カレーライフ』(平成13年)として発表されています。
(※『カレーライスの誕生』(小菅桂子著)と弊社サイト「カレー関連推薦書籍」を基に作成)
高級肉やフルーツなどで具材を特化したり、スパイスを強化したり、新感覚さやビジュアルにこだわったり、・・と多岐に進化した新しい欧風カレーが注目される。カレー専門店、レストラン、外食産業、そして家庭なしあらゆる生活シーンで新欧風カレーが盛り上がりをみせた。
従来のひき肉のカレーのスタンダードなタイプから進化を遂げた複雑かつ多岐にわたるキーマカレー。カレー専門店、外食チェーン、大手カレーメーカーなど個性あふれるキーマを開発し、こぞってメニューや商品を投入。
新型コロナウイルスの影響による外出自粛で「おうち時間」が増加し家で作るカレーが脚光を浴び時短から超本格的なカレーづくりまでブームとなった。
全国でスパイスカレー、創作カレー、スリランカカレーなど多岐にわたる個性のあるカレーを作る専門店が次々と開店しカレーファンからの絶大な支持を獲得。2001年から10年ぶりのカレー専門店ブームが再来した。
前年に大ブームとなった大阪スパイスカレーが全国に広まる。札幌・名古屋・福岡などで地域の特性を取り入れたスパイスカレーが次々と誕生。
大阪でインドのスパイス使いにこだわらないスパイス感を重視した独創的カレーが大ブレイク。
ミュージシャンなどクリエイターが繰り出す個性豊かなカレーが全国で注目された。
大阪で人気のスリランカカレーが全国でブームに!!ワンプレートで数種類のカレーを食べるスタイル。スパイスの効いたビーフ、ポーク、フィッシュ、そしてかつお節(モルディプフィッシュ)の出汁が日本人に合うと人気を博す。
カレーを生野菜とともに一緒に混ぜて食べるサラダカレーが人気に!!また北陸新幹線の開業で終着駅の金沢の名物、金沢カレーが注目を浴びブームになる。(金沢カレーは、千切りキャベツの生野菜とともに食べる。)
カレーに「焼く」「炒める」「揚げる」という調理法を用いた新タイプのシズルを重視したカレーが主役に。出来立ての、食欲をかきたてるみずみずしいカレーで食欲を刺激するカレーが大人気になる。
従来の子供向けでなく大人用の甘口のカレーがトレンドに。2段階の甘辛カレー、野菜の甘みを活かした炒めカレーなどのカレー店がチェーン化する。
カフェ発のカレーがキーマカレー、バターチキンカレーにグリーンカレー、マッサマンカレーなどが加わり一大勢力に!!カフェのおしゃれなカレーが女性に大人気となる。
マイルドで食べやすいバターチキンが子供からお年寄りまで、カレーのライトユーザーからヘビーユーザーまで支持を受け大人気に!外食、内食ともにブレイク。
カレーうどんが生まれ全国に広まって100年の記念の年。カレーうどんを盛り上げようとカレー業界、うどん業界から企業、有志が参画しプロジェクトを立ち上げる。革新的なカレーうどんがあふれ話題となる。
食業界全体に漂っていた野菜推進の流れと個性派キーマカレーブームが融合し、進化を遂げたキーマカレー、「ベジキーマ(ベジタブルキーマカレー)」が登場。ヘルシーさとおしゃれ感が受け、内食外食問わず需要が高まった。
従来のインド風キーマカレーに加えて、カフェキーマやオリジナリティの加えられた個性派キーマなど、新たなタイプのものが外食店のメニューに誕生。一般の消費者の間の認知度を大幅に高め、その結果、家庭でキーマカレーを作って食べるという習慣も広く普及しはじめる。
家族や友人と鍋を囲んでカレーをワイワイと食べる、という「カレー+鍋」のアイデアが、全国的に広く受け入れられる。カレー鍋専門店もオープンし、居酒屋などでもメニューにカレー鍋を置く所が出現しはじめる。
カレーの黄色の素であるターメリックを使用しない「白カレー」、反対にカラメルソースやイカスミなどを使用してルウを黒くした「黒カレー」が、その意外性から大きな注目を集める。メーカーからレトルトカレーも発売され、また薬膳的な効果もあるものとして、一気に全国に広まっていった。
横浜で、ご当地カレー創作プロジェクト「ハマカレー」というイベントが実施。これをきっかけに、フランス料理の洗練されたソースの技法を活かした、上品なフレンチカレーの名店の存在が明らかとなる。それまで男性中心だった外食カレーに対し、お洒落で繊細な味が楽しめるとして、フレンチカレーは女性を中心に人気を広げていった。
2003年、横濱カレーミュージアムが札幌のスープカレーの名店「マジックスパイス」を誘致に成功。これをきっかけに、翌2004年から札幌の他のスープカレー店も続々と関東に上陸をはじめる。それまで、札幌を中心とした北海道のみで知られるローカルな存在だったスープカレーが、一躍全国に普及。単なるブームを超え、カレーの新しい1ジャンルとして定着するまでに至る。
単なる市販のカレー粉ではなく独自にブレンドしたスパイスを使用、うどんのだし汁と融合させた、新タイプのカレーうどん専門店が誕生。全国に広まり、台頭する。
古奈屋(東京)、若鯱屋(名古屋)、五右衛門(香川)など
横濱カレーミュージアムオープン(2001年)により、同館出店のカレー専門店の存在が脚光を浴びる。影響は全国の専門店に波及。雑誌やTVなどで多数「カレー店特集」が組まれるようになり、大手メーカーからお店の名前を冠したレトルトカレーも続々と販売される。
日本にはカレー店が多くある「カレー五大都市」というのがあります。
1.東京 | 首都東京であるだけに日本で様々な種類のカレー店が最も多く存在します。 |
2.横浜 | 港町であるためインターナショナルな世界中のカレーが楽しめます。 ※ハマカレープロジェクトの調査で29種のカレー(店)あり。 |
3.札幌 | スープカレー店が多数あり。スープカレーだけでも100店以上あると言われます。 |
4.名古屋 | 名古屋らしく独自なカレー文化があります。特に、カレーうどんは多種あり、ユニークなカレーうどん店があります。また、COCO壱番屋の発祥の地であることも忘れてはなりません。 |
5.大阪 | 名店「インデアン」や老舗「自由軒」などを中心に特徴あるカレーがいろいろあります。 |